memo

 

私は人よりも物覚えが良くない。だからメモを取る。

仕事用のPCはデスクトップに付箋がたくさん貼ってあった。会社の人に偶然見られた時「パソコンの待ち受け、すごいことになってるね」と言われ(「待ち受け」という響きが懐かしい)なんだか恥ずかしくなってカレンダーアプリのメモ機能にすべて移した。

日記も私にとってはメモの一つだ。今日は何があった、昔はこんなことがあった、その時こう思って、こんな結末になった。忘れないようにメモしておく。Twitterもそうだ。短文しか書けないため、本当の意味でのメモとして使える。いちいち日付を書かなくても呟けば勝手に日時を記録してくれる。

ブログもそうだ。短いメモの「まとめ」としても使える。PCに標準搭載されているメモ機能(Windowsでいえば”メモ帳”とか)でもいいと思ったのだが、やはりブログは日記を書くのに特化しているだけあって月別表示や記事検索ができるし、なんといってもデザイン性がある。飾り気のないメモ用紙は必要十分ではあるが、少し寂しい。

ちなみに現在日記として使っているのはDaylioというアプリだ。今日の気分とアクティビティを選ぶだけでいい。文字を書くことすら放棄したい人にオススメだ。メモ機能がついているので短い日記も書ける。私は覚えておきたいことがあった日だけ一言二言書くようにしている。それくらいの適当さで続けられる。リマインダー機能もあるため、毎日服用する薬を欠かさず飲むことだってできる。

daylio.net

 

どうやら私は人よりも出来事を覚えていられないらしく、友人や恋人に「一緒にこんな所行ったよね」「あんな事があったよね」と話を振られ(あったっけ?)と思いながらバレないように話を合わせている場面が多くある。相手にとってはショックかもしれないから、もちろん表には出さない。会話が終わった後も自分の頭の中を探し回って、それでも見つからなければGoogleフォトにバックアップしている写真を遡る。それで思い出すこともあれば、写真を撮っていなくて最後まで思い出せないこともある。それでいいと思っている。人は思い出を忘れることで生きていける。らしい。でも私はちょっと忘れすぎかもしれない。

 

「忘れっぽい」と言うとネガティブなイメージを持たれるかもしれないが、私は自分のそういうところに救われている。良いことも忘れてしまうが、嫌なことも忘れられる。生きていれば1つや2つくらい忘れたいことがあるものだ。え、そうでもない?それは羨ましい限りだ。

とにかく覚えていられないのだ。だから、覚えなくてもいいようにメモを取っている。写真を撮るのと同じだ。たまに見返して「あ~こんなこともあったね」と浸るためだ。良いことも悪いことも全部「私」を構成する要素だから忘れたくはない。忘れてしまっては体験した意味がなくなってしまう。だからメモしておく。まあ、全てに意味があるとは思っていないけれど。

 

先日、久しぶりに過去のメモを見に行ったら「Yahoo!ブログサービスは終了しました」の文字が目に飛び込んできた。何ということだ、私の貴重な小学生時代のメモが綺麗さっぱり消えて無くなってしまった。データとして残す日記はこれが怖い。手書きの日記は手が疲れるし、本棚の場所を取るからもう書いていないのだが、再開せねばならないかと一瞬考えたくらい衝撃的だった。そういえばどこかのニュースサイトで「Yahoo!ブログ終了」の見出しを見たかもしれない。あらかじめ記事を移行しておくべきだった。でも、Yahoo!ブログにデータ移行機能なんてあったかしら。まあいい。消えてしまったものはしょうがない。忘れてしまうしかない。

 

私は自分の人生が好きだ。もちろん良いことばかりじゃなかったが、我ながらちゃんと向き合ってきたと思う。時には全部どうでもいいと思うことがあっても、最後は自分で選び取ってきた。忘れたくない。でも覚えられない。だからメモを取る。